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南馬宿村の概要

南馬宿村の概要

日本には2014年4月5日の時点で1,741の地方公共団体が存在します。しかし存在するはずの7村は含まれていません。7村の内6村はロシアが実行支配している、色丹村・泊村・留夜別村・留別村・紗那村・蘂取村、残りの1村が南馬宿村です。日本政府に忘れられた唯一の自治体であるとと共に、どの都道府県にも属さない悲劇の村です。

概要

大正6年8月
古鹿里村を襲った干ばつによる水の奪い合いから紛争に発展。古鹿里村が分裂して南馬宿村と田見形村に別れた。それ以前の南馬宿村の資料は紛争中にすべて焼失している。
昭和46年12月
夜間の野焼きが原因で村の総面積の1/3が焼ける火災が発生。死者は31名と言われている。
平成7年1月
寂村5(寂村ファイブ)に認定される。
平成11年4月
地方交付税交付金が突然打ち切られ、日本政府に忘れられた唯一の自治体となる。
平成27年12月
長い期間閉鎖されていた南馬宿村営スキー場”カナダ”が営業再会。
平成29年1月
オバマ大統領、南馬宿村をお忍びで訪問[詳細
平成29年4月
メリケン国より、極秘で南馬宿村内にTHAAD配備の打診を受けるも村民の反対により拒否。
平成30年3月
移住者が村内を景観を損ねるような服装で歩きまわることを禁止することが決まりました。英数字や鮮やかな衣装を身に纏う際には必ずどてらを着て村人に見えないようにしなければならない。
平成30年3月
村内での推奨衣装はどてら、袢纏(はんてん)、甚平、作務衣、もんぺ等と決まりました。
平成31年10月
南馬宿村の新たな娯楽、髑髏蹴り大会が開催される。
平成32年9月
平成32年9月抽選会場憤死事件発生 6名が憤死 詳細はこちら
平成33年5月
シーソーが設置される 詳細はこちら
平成33年10月
カメムシ香水販売開始

<南馬宿村のデータ 平成34年1月31日の統計>
世帯数:338世帯
面積:86.1km²
人口:約601人※
村長:重敏

※統計上では601人ですが、実際に住んでいるのは510人前後と言われています。

【南馬宿村の特徴】
・税収の少ない南馬宿村の頼みの綱は村民の労働(治水工事は半強制参加)
・日本で最も村八分が多い自治体
・人口に対する行方不明者数が日本一多い
・定住者の大半が苗字を持っていない(移住者は全員苗字有り)
・外からの血が入っていないため遺伝病が深刻
・村民の3%が夜驚症で、深夜になると村の各地で悲鳴や奇声・雄叫びが聞こえる
・平均年齢が毎年1歳ずつ上がる
・無子高齢化で廃村の危機



地理・地形

起伏に富んだ地形で標高300M~2300Mと大変高低差が激しく複雑な地形。起伏に富んだ地形は自然によるものではなく、度重なる紛争や嫌がらせによる掘削によってできたものである。村には100年に1度噴火すると言われている三つ目山があるが、近年噴火の頻度が高くなっている。また、三つ目山の麓に広がっている八つ目樹海には得体のしれない生物が多数生息している。都会から新種を見つけようとこの樹海に入る者がいるが、その大半は樹海から出てくることはない。過去に数人出てきた記録はあるが、自我を失いまるで寄生虫に乗っ取られた昆虫のように絶望的な動きをした後絶命している。

歴史

江戸時代、古鹿里村は江戸幕府の直轄領であったが、余りにも交通の便が悪く幕府の手違いもあって古鹿里村の記録のほとんどが消滅してしまった。古鹿里村を襲った干ばつによる水の奪い合いから紛争に発展。古鹿里村が分裂して南馬宿村と田見形村に別れた。古鹿里村の分裂騒動の際に大半の資料が焼失し、大正6年以前の南馬宿村の詳細は村民らによって語り継がれた情報のみである。その情報ですら嘘・捏造やでっちあげが含まれているので参考にならないと言われている。かつて南馬宿村には伝統工芸が多数存在したが、度重なる紛争で全て継承されること無く消滅している。

交通

唯一の公共の交通機関の村営バスが存在していたが、平成14年に何者かが燃料タンクに砂糖を入れエンジンを壊されてしまい廃止となった。村民の移動手段は、徒歩、軽トラックがメインである。イノシシを手懐けて移動手段にしていた村民もいましたが、突然の猛突進で死亡事故が発生しており最近ではあまり見かけません。飲酒運転が常態化しているが取り締まる組織が存在しないために野放し状態になっている。

道路は舗装されておらず、車で訪れた観光客の大半がこの先に村があるとは思わず引き返してしまうと言われている。

南馬宿村の道路 南馬宿村の道路

産業

村の住人の大半が農業。重敏がラフレシアの栽培に成功してから村の収益が大幅にアップすると思いきや、通貨が役に立たない村では苦労して育てた花が使えない紙幣や硬貨に変わってもなんの役にも立たない。基本的に自給自足が原則で、物々交換や労力を交換しあう慣習が強いので、産業は無いに等しい。

インフラ

a.電気
南馬宿村で使用されている電気は肥溜めの発酵熱を利用した自家発電が主流。主流と言っても大半の村民は電気を必要としていない。
b.水道
南馬宿村には豊富な湧き水があるので上水道は設置されていない。下水道や下水処理施設も無いため各家庭には必ず肥溜めがある。
c.ガス
堆肥に利用される牛糞から発生するメタンガスを回収して利用している。
d.肥溜
下水の整っていない南馬宿村では肥溜は欠かせません。各世帯に最低1つは肥溜の設置をしなければ不審に思われるので、たとえ肥溜を使わない、使いたくな場合でも設置したほうが良いだろう。

暖房は火鉢が使われている。
火鉢

軍事

概要

村内で幾度にも渡る紛争・抗争が行われているので、良くも悪くも村民は戦い慣れている。また、いざ戦いになると転んでもただでは起きない精神、肉を切って骨を断つ精神を遺憾なく発揮するのでいざ対戦相手になると大変厄介だと言われている。また、日常使用している猟銃や罠、農機具や重機、バキュームカーに加え、堆肥や肥溜から発生するガスをも兵器に転用することができる。それ故に村内で紛争が発生した際には大惨事に至ることもあった。最近は高齢化により大きな紛争になるケースは激減しているが、遺伝子レベルで戦いが大好きな村民はいざとなったら大暴れする可能性がある。

兵器

猟銃:200挺
カノン砲:8機
投石機:13機
重機:18台
トラクター:350台
バキュームカー:6台
堆肥:1200トン
その他:多数の斧、鍬、鉈、槍、吹き矢、竹槍、小槌、農薬等

バキュームカーは過去の村同士の紛争の際に大活躍している。昭和30年の猪岩村との紛争の際に、南馬宿村のバキュームカーのタンク内圧を最大限にまで下げた状態で獣道の草むらに待機。猪岩村の男たちが獣道を通り抜ける際に吸引し26人をバキュームカータンク内の封印に成功。これにより猪岩村は廃村しました。一方でバキュームカーの操作方法を誤ったことによる事故も絶えません。過去20年間で南馬宿の村民が17人誤操作でタンク内に吸い込まれ、うち15人が死亡しています。

 

 

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日本政府に忘れられた唯一の村、南馬宿村。良く言えば自然豊かな環境で人間味溢れる村人たち。悪く言えば江戸時代以下の文明レベルと感情をむき出しにする村民。そんな村八分に移住しませんか?

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