平成二十九年 軽トラック連続パンク事件
事件の概要
平成29年2月24日~2月26日までの3日間連続で、計45台の軽トラックがパンクの被害を受けた。被害を受けたタイヤの本数は180本に及び、昭和47年の八台パンク魔事件を大幅に上回る被害で、村人たちを震撼させた。
事件の発覚
3日間とも早朝に被害にあった村人がほぼ同時刻に被害を確認している。南馬宿村の全ての村民は、毎日5:00~5:10に放送される同報無線の元気ハツラツ体操に必ず参加するので、全ての被害は早朝に発覚した。
犯行日時
事件発覚の2時間~5時間前
軽トラックが狙われた背景
南馬宿村で登録されている自動車は90%が軽トラックであり、その他のバキュームカーや重機のタイヤをパンクさせるリスクが高いからと見られている。
犯人特定までの経緯
- 村の全ての軽トラックのタイヤ内に肥料用消石灰を充填
- 肥料用消石灰を充填した後、タイヤの空気圧を通常の2.5倍に設定
- 犯人が千枚通しで軽トラックのタイヤを刺す
- 通常の2.5倍の高い空気圧のタイヤに空いた穴から肥料用消石灰が噴射
- 噴射した肥料用消石灰が犯人の目に入る
- 強力な刺激で犯人がのたうち回り土手から転がり骨折
- 犯人の眼球に噴射された肥料用消石灰の強アルカリが角膜を腐食し、化学熱傷により失明
- うめき声を上げながらさまよっていた所村人らに捕らえられる
- 捕らえられたのは智彦(46)だった
犯人について
犯人の智彦(46)は昭和47年に発生した八台パンク魔事件の犯人、三郎の息子である。三郎は八つ裂きにされ、息子の智彦は村人らの前で三郎の亡骸を踏みつけた後、灯油をかけて火をつけ絶縁を誓った。ところが智彦の心の奥底には父親を崇めており、父を越えたいと言う気持ちがあったようだ。
犯人の今後
憤怒した南馬宿村の村人は死刑ではなく終身刑を望んだ。死んでしまったら快楽も無ければ苦痛も無くなってしまうので、南馬宿村立刑務所に死ぬまで封じ込めることに決まった。
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