南馬宿村を語るまでのいきさつ
今年68歳になった彦蔵さんは、生まれてから去年まで南馬宿村を一度も出たことがなかった。南馬宿村で育った村人は、村から出ることが危険極まりない行為であると信じ込んでいるため余程のことが無い限り村を出ることはない。
では、なぜ南馬宿村生まれの南馬宿村育ちの彦蔵さんが村から出ることになったのだろうか。その答えはバキュームカーにあった。バキュームカーは強力な吸引力を発生させるため、タンク内を真空状態にする。その真空状態を作り出す真空ポンプが故障してしまったのだ。南馬宿村の住人が真空ポンプの故障を解決するべく英知を結集。ところが真空ポンプは正常に作動することはなかった。下水道普及率0%の南馬宿村でバキュームカーが壊れてしまったらコレラや赤痢等の疫病が蔓延し、ただでさえ人口の少ない村は短期間で廃村に追い込まれてしまう。
彦蔵さんは壊れた真空ポンプを修理すべく大都会東京に向かったのだ。ところが彦蔵さんは東京と南馬宿村の文化レベルがあまりにも違うことに重度のカルチャーショックを受け、路上で気を失い救急車で運ばれてしまった。それがちょうど1年前のこと。省略するが、それから現在まで彦蔵さんにとって幾度と衝撃的な出来事が訪れたが、彦蔵さんは今、東京で路上生活者として生きている。
そんな彦蔵さんが以前住んでいた南馬宿村について語った。
1.村全体が強制収容所
「村全体が強制収容所だべ、村の外に誰も出ないべ。おいらもバキュームカーがごわれるまで村がら出だごどながっだべ。んでもごわれだがらむらをでだべ。過労死ずる村人が沢山いだべ。助げ合いど言うなの強制労働、まるで刑務所だべさー」
要約するとこうだ
- 南馬宿に封印されている村人
村人は村から出ようなどとは全く考えない。まるで村全体が見えないフェンスで囲まれているように、誰も村を出ようともしない。南馬宿村で生まれ育つと必然的に村から出ようとは考えない人間に育ってしまうのだ。 - 過労死や殉職が多発する重労働(強制労働)
1日の仕事が自給自足の分と家事だけであれば労働時間は5~6時間位。ところが村の行事がやたら多く、住民同士の助け合いと言うなの仕事の押し付け、納税システムが無い故に土木・治水工事、環境・治安維持等、あらゆる労働をさせられる。良く言えばボランティアだが悪く言えば強制労働、参加は絶対だ。しかも限界集落である南馬宿村では、人口の2割にも満たない若者が労働を引受ざるを得ない状況だ。私が村を脱出した時67歳だったが、南馬宿では若者扱いされていた。
2.過疎化の原因は村人にあり
「役場では移住者を読んでいいごどじようどいうんだべ。だげどおいらはじっどもぞう思うごどは無いべー。村の皆も同じだべ。移住者を強制労働ざぜるごどじが頭に無いだべ。」
要約するとこうだ
役場が
「移住者を受け入れ、産業を育てよう」
「若者を優遇してでも平均年齢を下げよう」
と頑張っていても、村人らに全くそのような意識はない。南馬宿村の村民らにとって移住者や若者は奴隷に過ぎないのだ。思い通りの奴隷に育たなかったら虐めたり村八分にしたりして、娯楽のない村民の暇つぶしの材料にされてしまう。
3.文化レベルが上がらないのは変化を極端に嫌う気質にあり
「おいら達は村の伝統を守りだいべ。だがら移住者の言う提案は糞だべ。んだべ村八分だべだべー。」
要約するとこうだ
慣わしや伝統を守る、こう言うと聞こえが良いかもしれないが、それも極端になると悪い結果しか生まれない。移住者が文化レベルを上げるアイディアを提案しても、
「我々を窮地に追い込むのか、愚の骨頂だ!」
「自分だけ良い思いをして我々を陥れるのか!」
と、猛烈に批判され、場合によっては即村八分にされてしまう。
4.遺伝的欠陥がみられる
「南馬宿村内の人間は血が濃ぐなっでじまっだべ。だがらギヂガイがのざばっでいるのであぶないべ。ギヂガイはぢっども減らないべー」
要約するとこうだ
昔から閉ざされたエリア内から村人が出ることが無く、移住者が定住するケースも稀なので遺伝病が蔓延していると言われている。特に精神疾患は年々増加の傾向があるが、今のところ打開策は見つかっていない。ただ幸いにも近年新生児が誕生していないので、このまま村人の消滅と共に遺伝病も無くなると言われている。
5.最悪の食文化
「重俊が五郎が罠にががり千代がヤツにお茶を頭にぶっがげだ。おいらは急いで三郎と一緒に鉄砲を持って重俊の家に行っだべ。ぞごには移住者の石田がいだがらおいらは鉄砲をズドン。千代め、よぐもおいらを裏切っだな!おい、五郎、重俊がやられるぞ…」
要約するとこうだ
怒り、恨み、妬み、怨念…、あらゆる負の感情が渦巻く南馬宿村内では自ずと食事に気を使う余裕は全くない。従ってもっと美味しいものを食べようと言う等とは誰も考えない。ジビエの生食の習慣があるので、E型肝炎のリスクも非常に高い。
■南馬宿村が村外で生活するには
1.無戸籍者ゆえの苦労
「おいらは東京来だげど苗字が無いから馬鹿になっだがど思われ、おいらは殺ずぞどいっだら警察がぎだ。おい警察、苗字が無ぐでもおいらは記憶喪失じゃないべー!」
要約するとこうだ
日本政府が南馬宿村を認知していないので、移住者以外の南馬宿村の村民は無戸籍だ。基本的に移住者以外の村民いんは苗字が無いので、私のように村外に亡命してもまともな生活を送ることは困難だ。
2.南馬宿村の常識は村外では非常識
「東京ではおいら、宣言ごぞざれでいないが村八分にざれでるべ。便所で大便をどごにずればよいのが聞いだらお前は馬鹿だの阿呆だの、おいらは地獄をあじわっだ。ぜっだいに許ざない。」
要約するとこうだ
南馬宿村の中と外とでは、先進国と開発途上国以上の差があるように感じる。私も水洗便所の使い方すら知らず、今でも野蛮人扱いされている。
3.残された家族は…
「東京来だげど文化的衝撃を受けバキュームカー修理の仕事のごどを完全に失念じでじまい、今更南馬宿に帰っだら重村八分になるだべ。両親もずだずだにざれで地獄だべ」
要約するとこうだ
私はバキュームカーの件があって村を出て東京に住み着くことになったが、今更村に帰ったら当然重い村八分。心残りなのは90歳を越えている両親を村に残してきたことだ。90歳と言っても南馬宿村の村民は容赦しないはずだ。とばっちり的な村八分にされていることだろう。
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