初夏の陽光が照りつける季節となりましたが、南馬宿村では今宵も肥溜めから立ち上る濃厚なメタンガスの臭気と、夜驚症の村民たちによる「山の神」への悲鳴が調和し、静かで不穏な夜を迎えております。皆様、健やかにお過ごしでしょうか。
さて、現在の当村は無子高齢化という極限状態にございます。平均年齢は毎年確実に1歳ずつ上昇し、生殖機能などという概念はとっくの昔に八つ目樹海の奥底へ置いてまいりました。村役場が掲げる「まずは若い世代に負担をかけられる『少子高齢化』を目指す」という禁断の目標すら、子供が一人もいない我が村にとっては高嶺の花の理想郷でございます。
このような環境ゆえ、都会の皆様から「もしも南馬宿村に子供が来たらどうなるのか」という場違いなご質問をいただくことがございますが、結論から申し上げますと、子供は絶対に当村に来ないほうが賢明でございます。なぜなら、最後のお産が大正か昭和かも定かではない当村において、しばらく誰も子供の実物を見た者がおらず、もし現れた場合に村民がどのような未知の反応を示すか、予測が不可能だからでございます。
当村の常識では、小さくて素早い人影といえば、未舗装路で突進してくる野良イノシシか、あるいは三つ目山の火口付近に生息する怪生物の二択しかございません。もし、英文字の書かれた色鮮やかなパーカーなどを着た子供が村の広場を走り回ろうものなら、即座に「不吉な予兆」とみなされ、村長・重敏の「眼が腐る」の一言によって凄惨な生活改善指導が執行されることは明白です。自作の煤けたドテラと膝の抜けたモンペを強制支給され、顔面に墨汁を塗りたくられるのはまだ優しい方で、最悪の場合はバキュームカーによる汚物逆噴射の洗礼や、庭にスズメバチの巣を投げ込まれるといった、伝統的な助け合いの対象になりかねません。
そもそも、当村には学校も公園もなければ、唯一の遊具であるシーソーすら、日頃から身体を鍛え上げた70歳の若衆たちが「どちらがより高く相手を吹っ飛ばせるか」を競う危険な賭けの道具と化しております。万が一、子供が肝炎の危険を顧みずに歓迎のジビエ生肉を食べて生き延びたとしても、歯並びが綺麗であればルッキズムの強い村民から妬まれ、前歯をへし折られるかシミのタトゥーを入れられるのがオチでございます。
南馬宿村は、弱い者が生存資格を失う弱者淘汰の村。子供という守られるべき存在は、当村においてはただの労働力を提供できない木偶の坊として間引きの対象になり得ます。都会の皆様、どうか子供は義務教育のある安全な世界に置いて、ご自身だけがドテラに「徳」という名の牛糞の汁を刻みに、単身で南馬宿村へお越しくださいませ。
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