昨日、当村の広場で「南馬宿村には墓がないのに、なぜ庭に墓石があるのか」と都会からの移住者が首をかしげておりました。結論から申し上げますと、当村に死者のための墓は一切存在いたしません。
南馬宿村において、寿命が近づいた老人は自らの足で「姥捨山」へと向かい、そこで静かに絶命するのが古来より続く美しい伝統です。
また、作業中の肥溜め爆発や野良イノシシとの衝突事故などで突然命を落とした場合、遺体は訓練された「姥捨山行きイノシシ」の背にくくりつけられ、滞りなく運搬されます。非常に合理的で環境に配慮したリサイクルシステムと言えます。
では、村のあちこちに散見される真新しい墓石は何なのか。それは「現在進行形で村八分の対象となっている存命の者」へ向けた、村人からの温かい通知手形に過ぎません。
朝起きて自分の庭に名前入りの墓が建っていた場合、それは「あなたの存在はすでに村の履歴から抹消されました」という合図です。これを放置すると、吹き矢の飛来、バキュームカーによる汚物逆噴射、あるいは夜間におけるご自宅の落とし穴化といった、より直接的なコミュニティの「助け合い」が始まります。
都会の皆様、無駄な墓地管理費を払う生活に疑問を感じたら、ぜひ当村の姥捨山システムをご検討ください。もっとも、山へ向かう前に村人から「生きている墓」を贈られなければの話ですが。
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