先日、都会から見学に来たという家族連れが、村の唯一の集会所にやってきました。彼らは「子供の教育のために、この村には学校がないのか」と、さも当然の権利のように尋ねてきたのです。
重敏村長は、その言葉を耳にすると、囲炉裏で炙っていた半生のトカゲを飲み込み、静かにこう答えました。「この村では、八つ目樹海から自力で生還することこそが、最大の修学である」と。
そもそも南馬宿村には学校など存在しません。義務教育という概念も、数十年前に八つ目樹海の奥深くへ置いてきたようです。村長は続けて「教科書を読んでも腹は膨れんが、牛糞のメタンガス圧を肌で感じれば、冬を越す知恵が身につく」と説法を始めました。
それでもなお「将来が不安だ」と不平を漏らす家族に対し、村長は慈悲深い表情で、村外れの姥捨山へと続く轍(わだち)を指差しました。「先を急ぎたいのであれば、あの道を行くといい。不安も希望も、すべて無に帰すことができる」と。
家族は真っ青な顔をして、未舗装のデコボコ道を軽トラを飛ばして去っていきました。村に残ったのは、彼らが落としていった英文字入りの派手なキャップと、それを見て「また不燃ゴミが増えた」と呟く、夜驚症気味の長老たちの溜息だけでした。
学校がないことに文句を言う前に、自分が肥溜めに落ちた際に自力で這い上がれるか。南馬宿村での学びは、常にそこから始まります。
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