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年金制度

年金制度はありません

都会では将来の年金受給額に一喜一憂しているそうですが、我が南馬宿村において「年金」という概念は、八つ目樹海に消えた行方不明者の再会を願うのと同じくらい、非現実的な空論に過ぎません。日本政府に存在を忘れられたこの村では、当然ながら公的扶助など届くはずもないのです。

ここでの「老後の蓄え」とは、通帳の数字ではなく、自宅の肥溜めにどれだけ良質なメタンガスが溜まっているか、あるいは近隣住民にどれだけの「貸し」を作っているかという一点に集約されます。

重敏村長は先日、集会にて「村の年金は自助努力と荒行によってのみ支給される」と布告しました。つまり、70歳の「若者」たちが、三つ目山の急斜面でどれだけ重い牛糞を運べるか、その労働力こそが翌日の大根一杯に変わる唯一の受給資格なのです。

先日、都会の価値観を捨てきれない移住者が「老後の保障がないのは不安だ」とこぼしていましたが、翌朝には彼の姿はどこにもありませんでした。村の境界にある姥捨山へと続く未舗装路に、重いものを引きずったような新しい轍が残っていたのは、彼が「究極の老後保障」に自ら辿り着いたからに他なりません。

南馬宿村では、働けなくなった者は村の循環の一部、すなわち堆肥へと還る道が用意されています。これほど効率的で無駄のない社会保障制度が、他にあるでしょうか。

年金が無いメリット

「将来の年金が足りるだろうか」と、都会の皆様は夜も眠れぬ不安を抱えていらっしゃると聞きました。その点、南馬宿村は非常に健全です。そもそも年金制度そのものが存在しませんので、受給額を心配する必要が一切ございません。

  • 都会の人がオロチの心配をしないのはオロチいないから。
  • 南馬宿村の人がオロチの心配をするのはオロチがいるから。
  • 都会の人が年金の心配をするのは年金があるから。
  • 南馬宿村の人が年金の心配をしないのは年金が無いから。

当村では、70歳はまだ「働き盛りの若造」として扱われます。足腰が動くうちは牛糞堆肥の切り返しや、隣村との境界争いに駆り出されることで、日々の食糧(主に大根やキノコ)が物々交換で手に入ります。

「動けなくなったらどうするのか」と、無粋な質問をする移住者もたまに居ますが、重敏村長はいつも慈悲深い表情でこう仰います。「当村には、伝統ある『姥捨山』というセーフティネットがある」と。

将来への不安とは、生存への執着が生む幻想に過ぎません。ここでは、制度の崩壊を嘆く前に、個体が自然へと還るサイクルが確立されています。積み立てるべきは金銭ではなく、山へ運ばれる際の覚悟だけで十分なのです。今宵も、夜驚症の叫び声と共に、村の平穏は守られています。

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南馬宿村役場

日本政府に忘れられた唯一の村、南馬宿村。良く言えば自然豊かな環境で人間味溢れる村人たち。悪く言えば江戸時代以下の文明レベルと感情をむき出しにする村民。そんな村八分に移住しませんか?

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