南馬宿村では、都会のような殺人事件という物々しい言葉はまず使われません。なぜなら、村で発生する絶命のほとんどは、厳しい自然環境がもたらしたやむを得ぬ不運として処理されるからです。
先日も、村の共有地で雪下ろしをしていた移住者が屋根から転落しました。目撃した古老によれば、背後には誰もいなかったはずですが、なぜか彼は「背中をドンと押されたような気がする」と言い残して、そのまま堆肥の山に消えていきました。重敏村長はこれを受け、「重力という村の掟に逆らった自己責任」と断じ、捜査の代わりに、彼が残したどてらを丁寧に物々交換の市場へ回すよう指示されました。
また、登山中に「会話の途中で突然姿を消した」とされる行方不明者も後を絶ちません。村の法理では、足元の崖に気づかないほどの注意力散漫は、南馬宿村で生きる資格がないことを意味します。落とし穴に落ちてそのまま土を被せられたとしても、それは大地への還りであり、わざわざ掘り返して騒ぎ立てるような野暮な真面目さは、この村には存在しません。
寒い日の夜道を歩いていたら、藪の中からベトコンの奇襲のごとく水をかけられることも珍しくありません。限界集落の冬の夜道で水をかけられたら凍死するのを待つのみ。この程度の冷水で命を落とす者は「自然の脅威に勝てなかった弱者」として、翌朝には速やかに姥捨山への道筋に整理されるのが決まりです。
また、各家庭に完備された肥溜め付きのかわや(便所)は、単なる排泄の場ではなく、時に人生の終着点となります。都会から「スローライフ」を夢見て移住してきた58歳の若者が、深夜にかわやに入った際、外扉に偶然にも(村の理論ではあくまで偶然です)重さ30キロはあろうかという太い丸太が斜めに立てかけられました。南馬宿村のかわやの扉は、外側に重圧がかかると内側からは決して開けることはできません。
三日三晩の格闘の末、閉じ込められた若者はメタンガスの充満するかわや内で静かに悟りを開いたようです。重敏村長は「彼は自らの意志で、肥溜めという村の心臓部と一体化することを選んだ。これぞ究極の地産地消である」と、集会の場でその尊い決断を讃える談話を発表しました。
南馬宿村において死因を問うことは、村民への反逆にも等しい無作法とされています。都会人が事件と呼ぶ凄惨な光景も、この村では自然の摂理という一言で片付けられるのが常。
南馬宿村への移住を検討される奇特な方々のために、村で日常的に発生する生存を脅かす自然現象を以下のようにまとめました。
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雪下ろし:屋根の上で作業中、背後に気配を感じたら最後。
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雪かき:側溝や崖下への転落が相次ぎますが、目撃者は皆「足を滑らせたようだ」と口を揃えます。
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登山:最も警戒すべきは無言の同行者です。「死ねー!」などの殺意に満ちた言葉は一切なく、楽しい会話の途中で、唐突に物理的な「お別れ(突き落とし)」がやってきます。
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寒中水泳:心臓麻痺ではなく、水面から出ようとする頭に石が落ちてくることがあります。
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冬季の散水:氷点下の夜道を歩いていたら、突然水をかけられる可能性があります。
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かわやの封印:前述の通り、外側に丸太を立てかけられ、かわやに閉じ込められます。自力脱出できない者は、肥溜めの養分として余生を過ごします。
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落とし穴:村のいたる所に掘られた穴は、一度落ちれば即座に土が被せられます。
これらはすべて、南馬宿村特有の過剰なまでの助け合い(弱者淘汰)の表れです。命を大事にしないのではない。命の選別を自然に委ねているだけなのです。
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